最高裁判所第二小法廷 昭和40年(オ)1127号 判決 1966年7月01日
上告人
中栄二助
被上告人
得田与嗣
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人の上告理由第一点について。
原判決は、本件約束手形の振出人としての上告人の記名印およびその名下の印はいずれも上告人の妻婦美子によって押捺されたものであるところ、同女は上告人に代って右記名印、名下印の押捺の権限を与えられたことも約束手形の振出について上告人から代理権を与えられたこともなく、本件手形の振出人としての上告人名義部分は同女によって偽造されたものといわなければならないと認定判示したうえ、右偽造にかかる本件約束手形の振出を上告人が追認した事実を認定して、該追認によって本件振出行為の効力が遡及的に上告人に及ぶことを判示しているのである。
これに対し、論旨は、偽造による手形行為は無効であり、無効な行為は本人の追認によっても有効とするに由ないことは民法一一九条の明定するところであるとして、この点につき原判決に法律の解釈適用の誤りがあるという。
しかし、本件のごとき場合は、無権代理人によって直接本人の記名捺印がなされた場合と同様であるから、追認によって本件振出行為が当初より本人に効力を生ずるとした原審の前示判断は是認できて、原判決に所論違法はないものといわねばならない。よって、論旨は採用できない。
同第二点について。
論旨は、原判決の理由不備をいうが、ひつきよう原審の専権に属する事実認定について異見を述べるにすぎないから、すべて採用できない。
よって民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(奥野健一 草鹿浅之介 城戸芳彦 石田和外)
【上告人の上告理由】
第一点 民法第百十九条によれば「無効の行為は追認に因りて其の効力を生せず」と規定している本件約束手形は原審及び控訴審に於て認定せられた如く偽造手形であることが明白であるから民法第九十条に規定する公の秩序に反する事項を目的とした法律行為に該当し無効の約束手形である。したがって強行規定に反する無効の約束手形は追認によって其の効力を生ずるものでないと解すべきである。
よって控訴審に於て本件約束手形は被控訴人の追認によってその効力を生じたとする認定は民法第百十九条に違背する。
第二点 (省畧)
(参考)
原判決理由
本件約束手形を被控訴人が振出したことを認めるに足りる証拠はなく、かえって、<証拠>を合わせて考えると、本件約束手形のうち振出人としての被控訴人の記名印、およびその名下の印はいずれも被控訴人の妻中栄婦美子によって押印されたものであることが認められ、中栄婦美子が本件約束手形に被控訴人に代って右の被控訴人名義の記名印、その名下の印を押印する権限を与えられていたこと、または中栄婦美子が約束手形の振出しについて包括的に被控訴人からその代理権を与えられていたことは、いずれもこれを認めるに足りる証拠がない。してみると、本件約束手形のうち振出人としての被控訴人の名義の部分は、中栄婦美子によって偽造されたものといわなければならない。
そこで、控訴人の表見代理の主張について考える。
<証拠>を合わせて考えると、本件約束手形はその共同振出人となつている株式会社大能の代表取締役である能任七松が、土谷久吉から株式会社大能のために金員を借受けた際に、受取人を白地としたまま土谷久吉に振出交付したものであり、土谷久吉から寺本次信に受取人を白地としたまま譲渡され、さらに寺本から控訴人へ、寺本が受取人を控訴人と補充記載して譲渡されたものであることが認められる。原審における証人中栄婦美子の証言のうちには、本件約束手形を同人が土谷に交付した旨の証言があるが、右証言は、同証人の、同人が被控訴人を振出名義人として作成した約束手形のうち、金額三十万円のものは、株式会社大能の社員米林昭に渡した旨の証言、および原審における証人土谷久吉の、本件約束手形は能任七松から交付を受けた旨の証言に照らして考えると、たやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定のとおり本件約束手形を能任七松から振出交付を受けた土谷久吉について、本件約束手形の共同振出人としての被控訴人の記名押印が、仮に中栄婦美子によって行われたものであるとしても、同人に被控訴人に代って右記名押印をする権限があると信ずる正当な事由があったということを認めるに足りる証拠はない。したがって、控訴人の表見代理の主張は採用できない。
次に、控訴人の、追認および債務引受契約成立の各主張について考える。
<証拠>を合わせて考えると次の事実が認められる。
本件約束手形の満期である昭和三十五年十月三日、本件約束手形が支払場所に呈示され、支払いを拒絶されたが、この呈示によって、被控訴人は本件約束手形が振出されていることを知った。そこで被控訴人は本件約束手形が振出された事情を調査するために、控訴人から本件約束手形の取立てを委任され、これを所持していた石浦精吉から本件約束手形を一時預り、調査した結果、被控訴人の妻中栄婦美子が、同人の兄能任七松から頼まれて、同人が代表取締役をしている株式会社大能の営業資金調達に利用させる目的で、前記認定のとおり本件約束手形に振出人として被控訴人の記名印、その名下の印を押印して、能任七松に交付したということが判明した。同月五日、被控訴人と新保正雄が同道して本件約束手形を返還するため土谷久吉方へ行ったところ、控訴人から本件約束手形の取立を委任されていた控訴人の代理人石浦精吉、および土谷久吉、寺本次信らから、本件約束手形の振出人としての被控訴人の記名印、およびその名下の押印が中栄婦美子によって行われたものであるとしても、妻の行ったことについては夫にも道義上責任があるとして、本件約束手形の支払いを要求された結果、被控訴人は控訴人の代理人石浦に対して、同月二十日までに本件約束手形を「いいのにする」と約束した。
右のように認められる。原審における被控訴人本人の供述のうち、土谷方において石浦から本件約束手形の支払いを請求されたのに対しては、後日手形を検討したうえで払うかどうかを返答すると答えた旨の供述は、前掲記の各証人の証言に照らすとたやすく信用できず、また当審における証人石浦精吉の、被控訴人に対して「いいのにする」ということの意味を確めたところ、同人は明確に「支払いをする」と答えた旨の証言、当審における証人森芳雄の、被控訴人は石浦らの請求に対して、「いいのにする」と答えたのではなく、明確に「支払う」と答えたのである旨の証言は、いずれも原審、および当審における証人新保正雄の証言に照らして考えると、たやすく信用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、前記認定の、昭和三十五年十月五日に被控訴人と控訴人代理人石浦精吉間に成立した。同月二十日までに本件約束手形をいいのにするという約束の意義について考えてみるに、金沢地方における「いいのにする」および「いいがにする」という言葉の用法、および原審における証人石浦精吉、同新保正雄、同寺本次信の各証言によると、前記認定の約束が成立した際、石浦が被控訴人に対して、本件約束手形の手形金支払いの方法として被控訴人に先日附小切手を振出すことを求めたが、被控訴人がこれを拒絶したことが認められること。すなわち、被控訴人が本件約束手形の支払いをするかどうかということから一歩進んで、支払い方法についても石浦らと被控訴人間で交渉が行われたことが認められることからすると、前記の約束は、被控訴人が昭和三十五年十月二十日までに本件約束手形の手形金を支払うという意味を有するものと解するのが相当である。そしてこれを法律的にみると、被控訴人の中栄婦美子による本件約束手形振出しの追認と、本件約束手形の手形金弁済期を昭和三十五年十月二十日まで猶予する合意と解することができる。
被控訴人は、前記認定の約束は石浦精吉らの強迫に因って成立するに至ったものであるから、これを取消すと主張するが、前記認定の約束が成立した際、石浦精吉らが被控訴人に対して強迫行為を行ったことを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人の右主張は採用できない。
してみると、被控訴人は前記認定の約束に因って、控訴人に対して本件約束手形の手形金三十万円、およびこれに対する猶予された弁済期の翌日である昭和三十五年十月二十一日から完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるということができるから、控訴人の請求は右の限度においては理由があるが、右の限度を超える部分は理由がない。
よって、控訴人の請求を全部棄却した原判決のうち、右の控訴人の請求の理由のある部分を棄却した部分は失当であるから、民事訴訟法第三百八十六条によりこれを取消して控訴人の請求を認容し、原判決のうちその余の部分は正当であるから、同法第三百八十四条によりこの部分についての控訴人の控訴を棄却し、以上の趣旨で原判決を主文第二、三項掲記のとおり変更することとし、訴訟費用の負担については同法第九十六条、第九十二条、仮執行の宣言については同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。
(名古屋高等裁判所金沢支部第一部)